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富士2008(上り偏)
2008年夏ブルートレインの旅、復路の部です。

実は、はじめこの復路の部は予定外で、帰りは当初500系新幹線の予定でした。理由はいくつかあり、まず帰りの日程の一ヶ月前に、海外出張が入っていて、早朝から駅にならんで寝台券を確保ということが無理だったこと、そのほか、500系でその日のうちに帰ってくる場合でも寝台特急に乗る場合でも、現地での滞在時間できる時間は一時間程度しかかわらないこと、だんだん現実に引き戻される寝台特急に対し新幹線ならあっというまの現実で諦めもつくなどなど。

しかし、出発の前日、つまり帰りの乗車の3日前、サイバーステーションをチェックしていたら門司東京、富士禁煙が△に。お盆の後半の時期の上りだけに、もう何週間も前から満席だったのですがキャンセル料金の関係からか突然の空きでした。こどもに、500系と開放Bの富士とどっちが良いか確認すると、迷うことなく富士がよいというので、すかさずプッシュホン予約を入れました。△なので残1なのか、2以上なのかわらなかったのですが、大人1子供1が通りました。個室ではないので、いくら寝台幅が同じでも添い寝はきついので二寝台必要でした。
とりあえず、寝台は確保しましたが、まだ油断はできません。こどもにもし寝台が離れていたら、諦める事を納得させて、駅に切符を受け取りに行きました。
駅で取れている寝台を確認してもらうと、4号車2上下でした。と言うわけで発券をお願いしました。

これで、急遽、帰りは富士の開放B寝台という楽しみが転がり込んできみました。

乗車当日、まず、門司で、8月中旬、そろそろ厳しくなってきた富士の到着を撮りました。

こっちはこどもの撮影^^;

富士到着後、ホーム中程では、はやぶさとの連結シーンを見ようという人たちで大賑わいでしたが、喧騒を離れた編成最後部では、日没直前の光のなか、現実行きの特急が静かに出発を待っているという感じでした。この太陽が沈むと、次に太陽が昇るときには、楽しい旅の思い出を作ってくれたかった九州も数百キロの彼方です。


さて、今回の寝台、開放B寝台で、発車を待ちます。4号車2番の上下。お向かいの1番は、まだ乗ってきていないようでした。やがて門司発車。次に九州に来られるのは、いつだろうかという思いを残して、関門トンネルに入ります。

トンネルをくぐると、日もすっかり暮れた下関に到着。1000km以上お世話になる、EF66を確認しに、編成の先頭に見物に赴きました。凄い人垣。


人垣の後ろで無駄な努力をしているのは、うちのこどもです。結局、諦めて撮らなかったみたい。ちなみにロクロクは51号機でした。


下関をでた時点でも、向かいは空席のまま。開放B寝台に乗るのが初めてのこどもは、上段、下段の寝心地を確かめながら、結局上段に決定。
カーテンを閉めると自分一人の空間ができるのが、思いの外楽しいようでした。
隣のボックスは、家族連れのようで、はしゃぐ子供達の声は、あちらさんが上だったので、気楽でした。

乗車したオハネ15-1204は、元オハネ25-204のようで、東京口寝台特急二段ハネ化のときにデビューした25型100番台の一族のようでした。旧態依然と言われる開放ハネですが、デビュー当初から改装され寝台のモケットや壁、カーテンなどがデビュー当時とは異なっていました。今回乗ったシック調のものと、ややポップ調のものがあり、編成内にもランダムに混ざっていましたが、個人的には、今回のシック調の方が良かったと思います。





向かい席も写真だけ撮らせてもらいながら、寝台の様子をご紹介。もちろん向かい席は座席、寝台、リネン類、指一本触れてません^^;

木目調の壁と、茶系のモケットがちょっと豪華な感じです。クリームの壁にに青い寝台、紺のごわごわしたカーテンといった昭和のB寝台の雰囲気が無くなっているのが残念といえば残念ですが、進化は歓迎すべきですね。

夜食のお握りを食べて、山陽路の夜景を楽しんでいると、防府手前の大道で、山陽線ダイヤ乱れのため停車。結局、28分遅れで防府に到着しました。

瀬戸内の夜景を見ていると、月が綺麗なことに気付き、廊下の補助椅子から300mmで。
寝台特急の窓から眺めた月です。トリミングしてますが^^;



防府を発車したあたりで、こどもは今晩の寝床に決めた上段の自分の城に入り、しばらくすると寝息をたてていました。

その後も、きっちり28分遅れで、徳山、下松、柳井と停車。本来なら徳山到着あたりを待ってのおやすみ放送も、防府発車時に既にありました。

こちらも、下段で横になりうつらうつら。岩国まで山口県の各駅を停車している間も、向かいの寝台に乗り込んでくる気配がありません。

カーブを通過するときに、車輪の軋む音が気になり、「台車の上だとこうなのか」と思いながら、横になって、久々のBネらしいBネの寝台を味わいながら、20系銀河のあとに、24系富士に乗ったとき、ベッドの幅が広いと感じたことなどを思い出していました。思えば、我々の世代が、52cmに対し新型新型の70cmは広いと比較して感じることができた最後の世代かもしれませんね。

やがて、広島も過ぎ、夢うつつの状態でしたが、どこかに停車しているので、外に目を遣ると岡山着。ホームで、撮影をされている方がちらほら。遅れで1時も過ぎていたのにお疲れ様です^^;綺麗に撮れたでしょうか?お盆の時期ということもあったのでしょうね。

車内放送で本日満席で岡山までは、乗車してくる可能性があると言っていましたが、とうとう岡山を発車後も向かいには上下とも乗ってきませんでした。ソロの隣の号車、一番端の禁煙車の更に一番端の席だったので、予備だったのかもしれませんね。

その後、関西圏は完全夢の中で、大阪も本線だったのか貨物線経由だったのかもわからないまま、目が覚めると夜が明けていました。場所を特定しようと目を凝らします。電車基地の脇を通過、大垣のようです。やがて岐阜通過。現時刻から名古屋着を概算すると、もう30分の遅れはないようで、15分から20分に縮まっていました。

そして、名古屋着。17分遅れで、発車。停車時間も短めでした。このままいくと、東京着までには遅れが、回復するかな?と予想していました。



名古屋から車販をはじめると、昨晩の放送であったので、前回の経験から、富士・はやぶさ併結部に簡易売店を求めて行ってみると準備が整ってました。コーヒーをもう販売してもらえますか?と尋ねたら、どうぞということで、早速、一杯熱いコーヒーを求めてきました。
往路では、大幅遅延のため、販売員さんが乗ってこれなくなり、買えなかった、「寝台特急で迎える朝の一杯のコーヒー」を求めることが叶いました^^;

ということで、記念撮影。湯気をわかってもらえれば成功^^;
岡山発車時点で、向かい席に人が乗ってこないことがわかったので、朝からは広く使わせてもらうことにしました。


やがて、遅れのお詫びから始まる朝の放送。今後の予定は、運行本部と連絡を取りながら決定するとのことでした。名古屋は、17分遅れまで回復していましたが、次の浜松着からは再び送れが拡大していくという内容の放送でした。

名古屋を過ぎると、愛知東部では、田園風景が広がり、まだまだ旅の途上という感じです。この朝も天候に恵まれました。

やがて静岡県に入り、浜名湖を渡ります。

このあたりで、今後の予到着時刻が発表(^^;)されました。当日メモによると次の通り…

浜松 06:50
静岡 08:00
富士 08:40
沼津 08:55
熱海 09:23
横浜 10:46
東京 11:13

とうわけで、最終的には、1時間以上(!)の遅れになる見込みとなりました。ちなみに同様の経験をした27年ほど前と比較すると、浜松で確か、30分ぐらい遅れていた「あさかぜ4号」が東京着時点で定時にまで回復したことがありました。この比較でも、今、寝台特急が置かれている状況がわかってしまいますね。
まぁ遅れは長く乗っていられることを意味するので、それほど悪いこととも捉えませんせんでした^^;
静岡西部も田園風景が続きます。

そして、静岡といえば、やはりお茶。この茶畑は、金谷付近です。

金谷あたりでこどもも、目を覚まし、行きは見ることができなかった大井川鉄道の電車を眺めることができました。金谷を過ぎると、大井川を渡ります。トラスの梁の隙間をタイミングよく狙って…。トラスの影で大井川らしさが伝わるでしょうか。

静岡での、新幹線への振り替え案内がありました。指定された新幹線にそのまま振替えられるとのこと。その後、車掌さんが希望を取りに各席を回ってきました。大変ですね。通勤電車優先のダイヤに阻まれながら必死に遅れと闘う牽引機の力走を収めに。

静岡を過ぎると、だんだん富士山が近づいてきました。この日は夏ながら、比較的綺麗に見ることができました。自席でカメラをもった我々親子を通りがかりに見つけた車掌さんが、「良い写真撮れました?今日は、富士山が良く見えてますね。富士山は、やはり富士川橋梁のところが一番ですよ。綺麗な写真撮ってみてください。」と話かけてきてくれました。
車掌さんのお勧めの通り、富士川を渡るときに撮ってみました。夏に綺麗に見れることは、冬に比べれば少ないでしょうから、寝台特急から撮るという意味では貴重な一コマになりました。「富士」から撮った夏の富士山です。

列車名と同じ富士駅着。

紙輸送のワムが、群れを成してました。


沼津に止まり丹那トンネルを過ぎ、熱海に着いたところで、踊り子を先行させるとのことで、暫く停車。はじめは、席に居ましたが、どうも発車する気配がないので、ホームに降りて、先頭まで行ってみました。すると、嬉しいことに、機関車を撮れる位置に停車。急ぐ旅でもないしといった感じの夏休みの親子連れを中心とした乗客達の記念撮影会場と化していました。



こっちはこどもの作品

東京までの乗車では通常だと、絶対撮れない牽引機の姿を、夏の順光の下、撮れたことは、幸運でした。

踊り子発車後と聞いて比較的のんびりしていた記念撮影組でしたが、急遽、踊り子を待たずに発車ということになり、あたふたと乗車ということになりました。

JR東日本に入り、まわりの電車も普段見慣れたものばかりとなり、現実に大分引き戻されたことを実感。

晴れていたので、綺麗な相模湾が見えているうちは、まだ、それが現実戻りを忘れさせてくれました。



やがて海も見えなくなり、小田原も過ぎると旅の終わりも、もうすぐといった感じになります。

開放Bネの朝の姿。寝台の昇降がないのは、座席と寝台のコンバージョン感がなくちょっと寂しいですね。天地に狭い窓は、開放Bネのたどり着いた最後の姿です。

相模貨物では、消音型のDE11が、洗ってもらっていました。暑い夏の水浴びのようで、気持ち良さげに見えました。お盆で、貨物も少なく貨物駅も暇そうでした。


列車は進んでいよいよ、生活圏に突入。現実のなかを行く非現実空間ですが、下りのときほどワクワク感はなく、戻ってきてしまったかぁ、という感じです。
最寄り駅通過!

そしていつもの場所。
いつもの自分たちのような親子連れの姿が。遅れ富士ぶさ、綺麗に撮れたでしょうか?

毎朝、スカ線で通う路を、この日は、東海道線経由で、しかも寝台特急で通ります。

保土ヶ谷を過ぎると西横浜で相鉄が併走してきて、横浜も、もうすぐです。熱海で踊り子に先行したためか、当初の予定10:46より早く10:38ごろ着。

ここまできたら名残惜しいので終着東京までのることにしました。
横浜発車でこの旅最後の客レの発車を味わいます。

成田エクスプレスをバックに、こどもの九州の思い出。次にソニックに乗るのはいつのことでしょうか。

品川を通過し新橋の前では最終の車内放送。いよいよ長かった、寝台特急の旅も終わりです。東京には、11:02ごろの到着で、ほぼ一時間遅れでした。28分の遅れを、途中17分まで詰めたものの、通勤時間帯という敵に阻まれ、最終的には60分以上の遅れに。それでも、遅延後に仕切り直した予定時刻より10分ほど早い到着でした。
東京着は、11:30着の「さくら」の記憶も新しいので、この時間帯なら違和感なく一時間余計に乗れたという感覚でいられます。lpれが、午後着になったりすると、遅延のだらけた感じになってしまいそうですが…。東京11:00過ぎというと、ちょうど「みずほ」の到着時刻ですね。


下関から牽引してきてくれた、EF6651号機。

これはこどが撮影。毎日眺めてるお馴染みの231系と暫し並ぶこのEF66は、この夜また下関に向けて1000km以上の旅に出ます。

さくら・はやぶさ・みずほ・富士・出雲・あさかぜ1号・あさかぜ2号・瀬戸・いなば紀伊・・・9往復、季節臨あさかぜ51号も加えれば10往復も存在した東京発の寝台特急も風前の灯火です。昼行特急華やかしころの東海道本線は、知りませんが、夜行特急全盛期は、見てこれた世代としては、サンライズを残し東京発客レ夜行は全廃という現実を受け止めなければならないのは辛いことです。こどもの頃のあこがれが、今消えようとしていますが、何とか、こどもと一緒に乗ることに間に合って2往復4回の思い出をつくれたことには、幸いでした。


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